考える

woo!

年が明けて再び頭が働くまで20日もかかるなんて!

筋トレも12日ぶり。

こうしようって思いを断ち切る、この現象はなんだろう。

 

最近思っていることは、けっこう気に病んでる状態から

環境を動かして発想を新鮮なものにしようと挑んでる。

いや、正確にはそうしたほうがいいって思ってるだけで

環境はなにも変わってない。

変わらない毎日に限界を感じて、自分の中のなにかが

ひらかれるような物語を探している。

でも本を開くことなく外に出ることもない。

 

ああしよう、こうしよう。

でもできない、やらない。

 

こういう内側でうねうね、うじうじやってるの、

スッキリしないなぁ。こんなに行動力がないのに

時間だけは正確にきっちりと、怠けることなく進んでいく。

年老いていく。

 

言葉が思い出せなかったり、うまく話せなくなってきた。

とはいえまだ老いを口にするのは早いし、時間が悪いのではなくて

過ごし方が悪いからそうなっているのだ。

 

この文のつくりかた!

こうなのだ

でもこうだ

おれの思考がこのミルフィーユで煮詰まりすぎてる。

おいしくない。

どうしたいんだ!

 

行動力は意思と想像力によってうまれる。

ほんまでっかTVで言ってた。

なにかを思いつくけど、それをいつのまにかキャンセルしてしまう。

そして惰性で時間だけが過ぎていく。

問題はなにか。

おいしくないのだ。生活に旨味がない。

おれはもう少し人生の時間をおいしく感じたい。

充実させたい。

それを解決するにはどうすべきか。

考える。想像力を働かせて、実行し、結果を得る!

人生の時間がおいしいとはなにか。

なぜ今おいしく感じないのか。

 

記憶を探ると、あの心斎橋OPAらへんのホテルの横道を歩いてる場面

に出くわした。クラブからの帰り道、当時ダンスにあこがれ、クラバ

ーにあこがれた自分が、やりたいことを叶えているその瞬間を噛みし

めている。夜空を見上げ、広い幸せな気持ちになっている。

THIS IS LIFE!

そんな気持ちにはもうなれないのか。

 

その時の自分と、今の自分を比較するとなにが違うだろう。

20歳と36歳。

おれがおれがっていう成り上がり思考、

若いっていいねという任せる感、預ける感、荷下ろし感。

身体的なもの。

情熱。好奇心。興味。思い込み。自信。

技術だけはいまのほうがよさそう。

変な思い込みが少なくなったという意味では、少し賢くなったかな。

その分、推進力はなくなった。

ダンサーにはなれないんだ。

 

でもあの時はダンサーになる自分を信じてた。笑い話だけどそうなる

ことを信じて生きてた。大学をやめて大阪に単身でてきて、スクール

に通い、クラブに通い、バイトをしてチームでショーも何度かやっ

た。それはもう恥ずかしいぐらい下手な踊りだったんだろうけど、シ

ョーのあと女の子に声をかけられたりしてうれしかった。(フロアで

ごつい黒人にもってかれたけど…)

可能性があった。そしてそれを信じる自分がいた。

楽しかった。

 

いまそういうのはない。

手を伸ばせば届きそうな希望、夢。

そんなものが存在しない世界。

自分はそこに生きている。

そら、枯れるわな。

 

男女が出会って感じるであろう恋する予感。

これもかなりぐっとくる、生きてる実感。

そんなものと無縁な日々を送り続けているいま、なにが自分を奮い立

たせられるのか。

自分の人生をおいしく過ごす瞬間はもうこないのか。

 

今日は幸せへのキセキという映画を見た。2度目だ。

愛だ、愛が描かれている。

そんなもの、ここにはない。

それでもテレビの前でそんな自分がとった態度は

ふてくされとか、無理解ではなく

いいなぁ、うらやましいなぁっていう羨望だった。

 

なんや、やっぱそういうところを目指したいんやん。

そうなら目的地にたどり着けるよう、思い続けたほうがいいと直観。

想像することを、生きているということをもっとやっちゃっていい。

つまらないあーだこーだなんておいとけ。

踊りは下手でもおいしい時間は過ごせた。

いまも、いつまでも、自分が信じる道を突き進めば

恥ずかしい気持ちが付き添うかもしれないけど

また、よかったなと思える人生を歩めるかもしれない。