カイン
意識はあったからローザにひどいことしてた罪悪感
ひそかに抱いてた想いと葛藤
ゴルベーザからの洗脳が解けたときに押し寄せる
カインの気持ち~!!
直後セシルとローザが抱き合い、安堵を分かち合うのをみる
カインの気持ち~!!
カインとセシルの「…」のやりとり~!!
「カイン、お前も寝返ったようね、それだけの力を持ちながら…」
カイン「バルバリシア」
バルバリシア「なれなれしく呼ぶでないッ」
という会話から察する、バルさんの淡い気持ち~!!
それをけしかけたバルバリシアの片腕、メーガス三姉妹のあやまち~!!(妄想)
カインたちに倒され、失意に打ちひしがれたバルバリシア
「カイン…きさま」「ゾットの塔もろとも消え去るがよい」
「ほっほっほほほ…」
この「ほっほっほほほ…」の哀愁~!!
FF4は心の叫びでいっぱいだ
愛
目が覚めて
布団の中でまだ深い悩みと不安が残ってた。
時間は朝の5時半。
うわぁ、くよくよしてちゃダメ
朝日を浴びてスッキリしよう!
とカーテンを開けたけど外はまだ真っ暗。
余計に絶望感におそわれる。
悩みの解決の糸口もつかめず
がんじがらめに絡まっていく。
息が詰まったので窓をあけた。
快の刺激をみつけなくては…
新鮮な空気をとりこんで空を見上げると
満月を数日前に終えた楕円形の月が浮かんでいた。
自分の心が映し出されるのか、その形をいびつに感じて
私は少し不満だった。
月は私にとって特別だ。
多感な思春期に悩みを抱えて空を見上げると、いつもそこにいた。
月しかいないのか、という切なさと
月がいてくれる、という安心感。
こうなりたいんだって願いを話しかけたり、ありがとうって感謝の
キスを送ったりして、そのうちに幸せを感じるようになった。
月にそういうことを感じて生きてる人間がいてもいい。
そう思う。
相手は自然界の大きな存在だから
自分の想いを素直に伝えることができる。
理解してもらえない、とか感情の出し入れとか
そんな小難しいことは考えずに
本心を打ち明けられる。
その月に、この苦しい気持ちを癒してはくれないかと懇願した。
なにか宇宙的なスピリチュアルな力で
この窮状から救い出してほしい。
そう祈った。
しばらく見つめていたけど
なにも起きないから窓をしめた。
閉塞感が消えない…
だれか味方がほしい!
おれが苦しんでいることをわかってくれ!
はげましの言葉をかけてくれ…
誰かに電話しようか、でも朝の6時前だ。
妹は寝ているだろう。友達はいない。
親には心配かけたくない。
これはあれか、カウンセリングが必要なのか。
うつなんだな。
朝起きて、まだ悩みのなかにいるなんてことはあまりない。
明日から仕事なんて行きたくない
ていうか、生きていけない。
また追い詰められていく自分を落ち着かせるために
とにかく快の刺激を探した。
よし、お湯をためてゆっくりつかろう。
レモンを垂らして、はちみつ湯でも飲もう。
癒し系フォルダを開いてお気に入りの曲をきく。
浴槽を洗いながら、ふと職場の仕事ができないA君を思い出した。
彼はいま実家で守られているけど、いつか自立しなければならない。
毎日なぜできないんだ!と責められて、一人で生きていけるのかな。
自分が死にそうなのに、他人の心配をしてる自分がいて
なぜか少し気持ちに余裕が持てた。
そういうことなのかな
自分のことになると、苦しくて訳が分からなくもがいてしまう。
混乱、閉塞感、絶望。
最後にはぷつッと切れてしまう。
でも人のことを考えると、こうしたほうがいいとか自分がなにか
できるんじゃないかとか考えをめぐらせることができる。
思いやり、心配。
心が開かれるような、助けてあげよう、いい未来につなげてあげたい
と思える力。
真っ黒いよどみのなかに、一滴のちいさな救いの想いが生まれた。
人のことを思うと強くなれるんだろうか。
anyway
今日は休日だ。自分を喜ばせることをしよう。
道はいくつもあるよ。広がりを、豊かさを感じて!
こういう心情を書き留めておこう。
気持ちを落ち着かせて整理ができるように。
でもまぁ、カウンセリングいったほうがいいのかな…
書いてる途中で再び月をみると、先ほどとは違って
まるいやさしいお月さまだった。
右下が少しかけてきたんやね
さっきは形が悪いなんて思ってごめんね。
Floetry - Say Yes
Musiq - Love
The Verve - Bitter Sweet Symphony
考える
woo!
年が明けて再び頭が働くまで20日もかかるなんて!
筋トレも12日ぶり。
こうしようって思いを断ち切る、この現象はなんだろう。
最近思っていることは、けっこう気に病んでる状態から
環境を動かして発想を新鮮なものにしようと挑んでる。
いや、正確にはそうしたほうがいいって思ってるだけで
環境はなにも変わってない。
変わらない毎日に限界を感じて、自分の中のなにかが
ひらかれるような物語を探している。
でも本を開くことなく外に出ることもない。
ああしよう、こうしよう。
でもできない、やらない。
こういう内側でうねうね、うじうじやってるの、
スッキリしないなぁ。こんなに行動力がないのに
時間だけは正確にきっちりと、怠けることなく進んでいく。
年老いていく。
言葉が思い出せなかったり、うまく話せなくなってきた。
とはいえまだ老いを口にするのは早いし、時間が悪いのではなくて
過ごし方が悪いからそうなっているのだ。
この文のつくりかた!
こうなのだ
でもこうだ
おれの思考がこのミルフィーユで煮詰まりすぎてる。
おいしくない。
どうしたいんだ!
行動力は意思と想像力によってうまれる。
とほんまでっかTVで言ってた。
なにかを思いつくけど、それをいつのまにかキャンセルしてしまう。
そして惰性で時間だけが過ぎていく。
問題はなにか。
おいしくないのだ。生活に旨味がない。
おれはもう少し人生の時間をおいしく感じたい。
充実させたい。
それを解決するにはどうすべきか。
考える。想像力を働かせて、実行し、結果を得る!
人生の時間がおいしいとはなにか。
なぜ今おいしく感じないのか。
記憶を探ると、あの心斎橋OPAらへんのホテルの横道を歩いてる場面
に出くわした。クラブからの帰り道、当時ダンスにあこがれ、クラバ
ーにあこがれた自分が、やりたいことを叶えているその瞬間を噛みし
めている。夜空を見上げ、広い幸せな気持ちになっている。
THIS IS LIFE!
そんな気持ちにはもうなれないのか。
その時の自分と、今の自分を比較するとなにが違うだろう。
20歳と36歳。
おれがおれがっていう成り上がり思考、
若いっていいねという任せる感、預ける感、荷下ろし感。
身体的なもの。
情熱。好奇心。興味。思い込み。自信。
技術だけはいまのほうがよさそう。
変な思い込みが少なくなったという意味では、少し賢くなったかな。
その分、推進力はなくなった。
ダンサーにはなれないんだ。
でもあの時はダンサーになる自分を信じてた。笑い話だけどそうなる
ことを信じて生きてた。大学をやめて大阪に単身でてきて、スクール
に通い、クラブに通い、バイトをしてチームでショーも何度かやっ
た。それはもう恥ずかしいぐらい下手な踊りだったんだろうけど、シ
ョーのあと女の子に声をかけられたりしてうれしかった。(フロアで
ごつい黒人にもってかれたけど…)
可能性があった。そしてそれを信じる自分がいた。
楽しかった。
いまそういうのはない。
手を伸ばせば届きそうな希望、夢。
そんなものが存在しない世界。
自分はそこに生きている。
そら、枯れるわな。
男女が出会って感じるであろう恋する予感。
これもかなりぐっとくる、生きてる実感。
そんなものと無縁な日々を送り続けているいま、なにが自分を奮い立
たせられるのか。
自分の人生をおいしく過ごす瞬間はもうこないのか。
今日は幸せへのキセキという映画を見た。2度目だ。
愛だ、愛が描かれている。
そんなもの、ここにはない。
それでもテレビの前でそんな自分がとった態度は
ふてくされとか、無理解ではなく
いいなぁ、うらやましいなぁっていう羨望だった。
なんや、やっぱそういうところを目指したいんやん。
そうなら目的地にたどり着けるよう、思い続けたほうがいいと直観。
想像することを、生きているということをもっとやっちゃっていい。
つまらないあーだこーだなんておいとけ。
踊りは下手でもおいしい時間は過ごせた。
いまも、いつまでも、自分が信じる道を突き進めば
恥ずかしい気持ちが付き添うかもしれないけど
また、よかったなと思える人生を歩めるかもしれない。
365
ぴかぴかの一年を過ごしたい
一日一日輝く宝石をみつけて
それをいっぱい敷き詰めて365日経ったら
きれいなものができあがる
そういう年にしよう
それで具体的に一年間続けられるものはなんだろう
目に見えて喜ぶものはなんだろう
と考えた結果
今年は筋肉トレーニングをして
いい身体になるということになりました
1日目はお酒がまわって集中できないのでしないけど
今年はこうしたいって決めたということで
頭の筋肉は鍛えられたことにしよう
みかた
見方を変えれば受け取り方が変わる
私は社会的弱者だ
毎日傷ついて生きている
既成事実は変えようがない
だからといって屈服する生き方は余計辛い
世知辛い世の中で
自分という駒を上手に動かすにはどうすればいいだろう
傷つくということは生きるうえでリスクだ
体力は限られる
ならば体力が多いほうがいいし
耐久性や回復力も高いほうがいい
そもそも傷つかないようにするべきなんだけど
それは避けられないし人生のルーティンに組み込まれている
今の時点ではそういうものとして受け入れているけど
まぁここはまだふせんを付けて考える余地を残しておこう
方向性の問題なのかな
昨日今日、つい30分前までの気分はどん底だった
毎日自分が傷ついてることを認識してどんどんマイナスになる
そういう感じ
でも本当にそうなのか
地面の下をどんどん掘り進んでるのかっていうとそうでもない
お先真っ暗で壁にぶつかって身動きが取れないってほどでもない
ご飯を食べたらおいしいし
うんちを出したらスッキリする
そんなときまでマイナスの気分にとらわれているのはもったいない
ただ少し傷を負ってる
その自覚はしてる
自分の身を守るために
こういうときは頭を働かせて問題と向き合うべき
さてなにと向き合うべきのか
既成事実は運命として受け入れた
既成事実は変えられないけど
自分の気分は変えられる
受け取り方は変えることができる
自分の生き方を自分でコントロールできるから
たどり着ける質がある
こうするしかないんだって縛られる
そんなの自由な生き方じゃない
発想をめぐらせて
自分の頭のなかで気分を数値化してしてみた
そして一日の時間軸と気分値をxyのグラフでだす
0から一日が始まって
自分がなんとか社会人として生きている
という自負心を奮い立たせてある程度まで上昇するけど
物事がうまく進まない
仕事外で評価を受ける
話が通じない
仕事自体もミスる
また傷ついて0に戻る
その繰り返し
他の人はもっと上手に積み上げていって高いところにいけるだろう
でも自分はずっと0に戻る
そんな劣等感とか自分だけ燃費が悪い
この境遇なにっていう気持ち
ひどいときはどんどんグラフがマイナスに傾く
自分には人間としてまともな生き方も望めないんだ
そう自分を納得させることで毎日を過ごしてる
あぁまさにいまの心境はここだ
うまく吐露してる
自分で書いててそうそうって気持ちになった
じゃあやっぱりマイナスにいるみたい
うぅ再認識してしまった
でもこれを書き出す前に考えが浮かんでいるから
そこまで深刻じゃない
タイトルのとおり
みかたを変える
そう状況はマイナスなんだろう
でも頭がおかしくない範囲で意識を転換すれば
きっとマイナスの状況にも救いがあるはず
ここであべこべクリームを塗れば寒いところでもぽかぽかとか
いう例えを出したら頭がおかしいほうのボーダーラインだけど
自分はそんなことはしない
例えば世の中には「逆境」というあきらかにマイナスだけれど
なにかそのあとに良くなりそうな言葉が存在している
逆境を乗り越える
苦しい思いをしてこそ幸せの価値がわかる
逆境に咲く花はどの花よりも貴重で美しい
調べてみたら先人たちがそんな言葉を残していた
自分のすぐそばに気持ちを理解してくれる人はいないけど
過去にも状況は違えどがんばった人がいるってことは心強い
勇気づけられた勢いでグラフを思い返してみる
毎日自分に起きていることは一緒だ
なにを見るか
なにを受け取るか
のフォーカスを選ぶことはできそう
既成事実には従うしかないのだけれど
働いている以上給料はもらえるし
マイナスばかりではないと客観的事実が示している
0になっているかマイナスになっているかを決めてるのは
結局のところ自分じゃないか
まぁそのこだわりが自分を形成する大事な因子だから
本当に正直な気持ちだからってことはあるけど
思い通りにならなくてだだをこねる子供じゃないんだから
上手に生きることはできる
大人なんだから
自問
この解決を大人を理由にするとなにか釈然としない気持ちにかられる
的確に言い表せてない
お兄ちゃんなんだから我慢しなさいと同じだから
とにかく
書く前に思いついたのは
自分が0になってるって思いこんでるけど
0じゃない客観的事実もあるよね
お金や経験とかがそう
あとどんどんマイナスになるっていうのも
それって0に収束するルーティンからしたら
かなり体力のあることだよね
0からの幅が大きいほどそれだけのバイタリティがあるってこと
いまやっとバイタルっていう語彙がでてきた
結局それもマイナスになると思い込んでるから
その方向、その位置に進むわけで
じゃあプラスのほうになることを前提として考えれば
一つ一つの刺激が悪い刺激ではなく良い刺激に変換されて
どんどん上にいくんじゃないかって
ありがちだけど
方向性、こうなるってことを定めて
目の前の材料をいいものとして捉えれば
自分が思った通りの場所に行ける
満足した人生が送れるんじゃないか
自分が毎日の気分を
この人生を決めてる
30分前にそう思うことにした